埋蔵金千夜一夜 第十話
畠山清行氏著の「眠ったままの埋蔵金」青春出版社

この本は同氏の「日本の埋蔵金」のダイジェスト版かと思っていたのですが、読み直してみると新しい資料も載せておられますし、なによりも埋蔵地点を同氏の長年の研究から結論を出され、公表されているのです。
(もっとも、埋蔵地点と言っても「この滝から北に何メートルの地点」という様な狭い場所ではなく、だいたいの地域ですが)
今日は、この書の中から、徳川幕府の金山奉行であった大久保長安の埋蔵金の話です。
大久保長安の埋蔵金
徳川家康、ご存知ですよね。慎重で重みのある代表的なオジサンです。
この慎重な家康が埋蔵金の探索・発掘の禁止令を出したのが大久保長安の埋蔵金です。
大久保長安は家康の下で佐渡金山・石見銀山・伊豆の金山の開発・採鉱に外国の新しい技術を持って取り組みます。
各地で産金量を増し、幕府の財政強化に貢献したのですが、この人、かなり大量に金を横領したのです。
うすうす横領を感ずいていた幕府も長安の能力の高さに見て見ぬ振りをしていました。
長安の死後、家康は長安の子七人を切腹させ、大久保家を取り潰します。その時に埋蔵の疑いが持ち上がったのです。
しかし、子や主だった家臣を処分した後だったので、具体的な埋蔵の真相までは分かりませんでした。
家康には伊賀者をはじめ優秀な諜報組織がありましたので、何か有力な埋蔵の確証を手に入れたのでしょう、発掘の禁止令を出しました。
さて、その埋蔵地点ですが、いつの頃からか、「富士山の見える、黒い花のつつじの木の下に埋まっている」との伝説が箱根付近にあるのです。
幕府も元和四年(1618年)・寛永5年(1628年)・寛永十五年と三度にわたり伊豆・箱根方面を発掘しています。いずれも収穫はありませんでした。
明治に入り、日蓮宗僧侶の黒田日泉が探索を繰り返しますが、これも成果はありませんでした。
畠山氏の調査で、明治45年に箱根仙石原で道路工事中に大久保家と関係のある華菱紋のある金具が出たことが判明します。
畠山氏は金具の出土場所である現在の富士屋ホテル仙石ゴルフ場バス停付近が埋蔵地点ではないかと推測されています。
家康ほどの人物が確信し、埋蔵金研究の第一人者畠山清行氏が推測した大久保長安の埋蔵金、これには信憑性を感じます。
もし、箱根仙石原で黒いつつじを見かけたら………?
励みになりますので、ホチッとお願いします。

この本は同氏の「日本の埋蔵金」のダイジェスト版かと思っていたのですが、読み直してみると新しい資料も載せておられますし、なによりも埋蔵地点を同氏の長年の研究から結論を出され、公表されているのです。
(もっとも、埋蔵地点と言っても「この滝から北に何メートルの地点」という様な狭い場所ではなく、だいたいの地域ですが)
今日は、この書の中から、徳川幕府の金山奉行であった大久保長安の埋蔵金の話です。
大久保長安の埋蔵金
徳川家康、ご存知ですよね。慎重で重みのある代表的なオジサンです。
この慎重な家康が埋蔵金の探索・発掘の禁止令を出したのが大久保長安の埋蔵金です。
大久保長安は家康の下で佐渡金山・石見銀山・伊豆の金山の開発・採鉱に外国の新しい技術を持って取り組みます。
各地で産金量を増し、幕府の財政強化に貢献したのですが、この人、かなり大量に金を横領したのです。
うすうす横領を感ずいていた幕府も長安の能力の高さに見て見ぬ振りをしていました。
長安の死後、家康は長安の子七人を切腹させ、大久保家を取り潰します。その時に埋蔵の疑いが持ち上がったのです。
しかし、子や主だった家臣を処分した後だったので、具体的な埋蔵の真相までは分かりませんでした。
家康には伊賀者をはじめ優秀な諜報組織がありましたので、何か有力な埋蔵の確証を手に入れたのでしょう、発掘の禁止令を出しました。
さて、その埋蔵地点ですが、いつの頃からか、「富士山の見える、黒い花のつつじの木の下に埋まっている」との伝説が箱根付近にあるのです。
幕府も元和四年(1618年)・寛永5年(1628年)・寛永十五年と三度にわたり伊豆・箱根方面を発掘しています。いずれも収穫はありませんでした。
明治に入り、日蓮宗僧侶の黒田日泉が探索を繰り返しますが、これも成果はありませんでした。
畠山氏の調査で、明治45年に箱根仙石原で道路工事中に大久保家と関係のある華菱紋のある金具が出たことが判明します。
畠山氏は金具の出土場所である現在の富士屋ホテル仙石ゴルフ場バス停付近が埋蔵地点ではないかと推測されています。
家康ほどの人物が確信し、埋蔵金研究の第一人者畠山清行氏が推測した大久保長安の埋蔵金、これには信憑性を感じます。
もし、箱根仙石原で黒いつつじを見かけたら………?
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